子育ての方が仕事よりも大変だし難しい。ってのは考え直そうぜ

おはようございます。こんにちは。こんばんは!
メンサーのチャイスケです!

 

たまに、

子育ての方が仕事よりも何倍も大変で難しい

ということを言っている人がいる。

子育てが難しいのはわかるし、大変なのもわかる。
ただ、仕事も難しいし大変だよ。

ってことを書こうと思う。

 

確かに、子育ては大変だし難しいよね

ここでは主に乳幼児期の子育てについて考える。

先程の、
子育ての方が仕事よりも何倍も大変で難しい、
と言っている人の意見としては、

子育ては年中無休の二十四時間体制であるし、
すぐ泣くし、論理的に説明すればよいというものでもない。

といった感じである。

確かに、そういった意味でめちゃくちゃ大変だし難しいものであるのは想像に難くない。

し、実際にそうなのであろう。

 

仕事は大変じゃないし難しくもない?!

ここでは、”一般的なサラリーマン”について考えよう。

確かに”一般的なサラリーマン”は、有給休暇を年に20日くらい取ることができる。

そして、
会社という組織で働いている以上、仕事はある程度はマニュアル化されていて基本的には代えが効く存在である。
つまり、その人でなくてもできる(≒難しくない)仕事をしていると言えるかもしれない。

※人によっては代替不可な存在の人もいるが、そういう人はここでいう”一般的なサラリーマン”では想定していない。

上述のように考えると、

仕事はそこまで大変でもないし、そこまで難しくもないように思えなくもない。

 

子育てと仕事を比較してみよう

さて、そこで、子育てと仕事の比較という話である。

そもそも子育てと仕事を比較してどちらが大変か?難しいか?を議論するのがナンセンスという話はあるだろう。私もそう思う。

まあ、とは言っても仕事と子育てを比較するというナンセンスな主旨で書き始めた記事なので、頑張って書いていく。

 

ここで取り上げるのは、以下の一点の観点のみである。

それは、

PDCAを回しやすいかどうか

(子育ては年中無休二十四時間体制である。とか、そういった話は取り上げない。)

 

では、

「PDCAを回しやすいかどうか」

とはどういうことだろうか。

 

PDCAを回すとは、以下の4つのサイクルを回すことである。

Plan(計画)・Do(実行)・Check(評価)・Action(改善)

 

そして、
PDCAを回しやすいための大きな条件は以下である。

・変数が少ない(計画・仮説が立てやすい&改善がしやすい)
・結果の可視度が高い(評価&改善がしやすい)

それぞれみていこう。

変数

変数が多いほどPDCAを回す難易度はあがる。

例えば、学校の定期テストのような勉強は変数が少ない。
ただ決まった範囲の勉強をしていればある程度の結果を得ることができる。

テストと比べるとスポーツ(特にチームスポーツや、対人スポーツ)の方が変数が多いことはわかるだろう。

勉強は自分ひとりでシコシコ勉強したら努力の量に比例して成績は上がる。

ただ、スポーツにおいては個人の身体能力や技量を上げることがそのまま成果に繋がるわけではない。
チームスポーツであればチームメイトとの連携を考えないといけないし、対人スポーツであれば相手によって戦略を変えないといけない。

また、練習では強いが試合に弱い人がいることからもわかるように、試合勘のようなものも必要になる。

 

変数が多く、PDCAを回す難易度の高さでいえば、

(勉強 <) 仕事 < 子育て

であろう。

 

結果の可視度

Do(実行)に対しての結果がわかりやすいにくいほど、
PDCAを回す難易度はあがる。

そして、
結果の可視度が低く、PDCAを回す難易度の高さでいえば、

仕事 < 子育て

となるのは感覚的にもわかるだろう。

 

子どもとの接触一つ一つが子どもの成長にどう影響しているかを正確に捉えるのは難しい。

五感を使った様々な接触の組み合わせで子どもは成長していくし、
その成長の結果はすぐにわかることばかりではない。

 

・・・ここまで述べてきたことを振り返ると、

「やっぱり子育ての方が断然難しいじゃん!」

ということになる。

 

確かにそういうことになるかもしれない。

 

けど、よく考えてみてほしい。

仕事よりも変数が多く、更に結果もわかりにくい子育てにおいて、
正解などあるのだろうか?

将来の世界がわからない以上、
数年、十数年を見越さないといけない子育てに正解があるとは思えないし、
正解があるとしても正解は変わっていく。

例えば、
昔は良い大学に行って、有名な会社にいくことが正解とされていたが、
最近では正解とは言えないだろう。

実際に何が正解かはわからないが、
正解とされているものが変わることは確実だ。

 

また、
親の子への影響力が大きいとはいっても、

乳幼児期を終えて小学生以上になってくると、
親との時間よりも小学校などそれ以外で過ごす時間の方が長くなってくる。

そして、小学校は私立に通わせるとかしない限り、基本的に選択肢はない。

要は、
親が関われる変数はかなり小さくなってくるのだ。

 

まとめると、こんな感じである。

子育ては変数がめちゃくちゃ多い。

そして、親が関われる変数は以外と多くはない。

子育ての結果がわかるのは数年、十数年後になる。

(数年後、十数年後の世界を予想することはできないため、)
子育てをしている時の正解(とされているもの)が数年、十数年後の正解(とされているもの)とは限らない。

というか、子育てにはそもそも正解はない。

 

以上を踏まえた時に、

子育ては、
今この時の子どもとの関わりを信念を持って必死にやるしかない

のだと思う。

 

もしそうであるならば、
子育ては難しいし大変ではあるが、

直近の結果に対しての責任を追及されるというストレスは比較的少ない

だろう。

※注釈
直近の結果に対しての責任を追及される云々に関しては、
パートナーからや、社会からのプレッシャーみたいなものはあるかもしれない。
パートナーについては、そうならないような良い関係性を築いてくださいとしか言いようがない。
社会からのプレッシャーについては、大抵批判してくる人はバカなので無視すればよいだろう。

 

それに比べて仕事というのは、
直近の成果に対して(悪い場合には)追及される。

もちろん、そうやってPDCAを回していくことは成長のためにも必要である。

しかし、
仕事においても変数は相当数あるため、
常に正解を出し続けることはできない。
(そもそも、仕事においても明確な正解はないだろう。)

こういう状況の中で、
直近の成果に対する責任というプレッシャーに常に晒されているサラリーマンは、
そういう意味でのストレスがかなりかかっている。

そして、
PDCAをかけ続けなければいけないプレッシャーにも晒されている。

・・・サラリーマンも大変なのである。

 

要は、
PDCAが回しやすいかどうか、という観点から捉えた時に、

仕事の方がPDCAを回しやすいという性質上、
逆に(逆ではないかもしれないが)仕事の方がプレッシャーやストレスがかかっている。

ということである。

 

最後に

まあ、一番伝えたいことは特別なことではなく、

子育ても仕事も大変だから、お互いを尊重しながらやっていこうぜ。

ということだ。

冒頭でも述べたように、
子育てと仕事を比較するのはナンセンスなので、そういうのもやめようぜ。

って思っている。

 

お読みいただきありがとうございました!

ではでは!

子どもがまだいない人こそ、子育てのPDCAを回そう@学童保育

おはようございます。こんにちは。こんばんは!
メンサーのチャイスケです!

 

実は、半年間ほど、学童保育のお仕事をしていた時期がありました。

元々は広告代理店で働いていた私が、
何を考えて学童保育でお仕事をしたのか。
そしてそこから学んだことなどを書こうと思います。

 

学童保育で働き始めた理由

簡単に言うと以下の2点です。

①自分の子育てを見据えて経験をつんでおきたかった

②小学校の状況を知っておきたかった

それぞれ詳しく説明したいと思います。

 

①自分の子育てを見据えて経験をつんでおきたかった

自分が子育てをする時に備えて、練習しておきたかったということです。

ちなみに、
まだ子どもいないですし、結婚もしていないです笑

 

ただ・・・考えてみてください。

子育てってかなり重要で責任のあることです。

そうにも関わらず、
今まで子育てをしたことがない状態で子育てを始めるって怖くないですか?

少し言い方を変えると、
子育てのPDCAを回したことがない状態で子育てをするのってなんか無責任な感じがしませんか?

 

突拍子もないことを言っているように聞こえるかもしれませんが、
仕事で考えるとわかりやすいです。

仕事を覚えていくには、
仕事を経験し、PDCAを回していくことが大切です。

そして、重要な案件、重要な仕事においては、
PDCAを何回も回したベテランさんが対応するはずです。

新人さんがいきなり重要な仕事を任されることはほぼないです。

 

なのにですよ、
重要なことである子育てにおいては未経験の新人さんが行っているのです。

この構図がなんか気持ち悪いですし、しっくりこないのです。

学童保育で働くことにより、
子どもを養護、教育する機会をつんでおきたかったのです。
(そういう意味では学童保育でなくて、保育園とかでもよかったです。)

 

では、
学童保育でお仕事をしてどんな学びがあったかと言いますと、、、

子どもを扱うのが上手な先生がいて勉強になりましたし、

子どもによって発育・発達のスピードが違うことを実感できたり、
支援を受けている子どもの存在や実態を体感できたりしたため、自分の子どもがちゃんと成長しているかどうか必要以上に気にすることがなくなったのではないかと思います。

 

②小学校の状況を知っておきたかった

私は、現状の”一般的な”小学校の教育が好きではないです。

横並び教育な感じとか、

型を押し付けるような感じとか、

仕組みや考えが時代遅れなところとかとか・・・

そのため、
できることならば自分の子どもには”一般的な”小学校に行かせたくないなぁ、
という思いがありました。
(例えば、オルタナティブスクールやサドベリースクールに行くほうがいいと考えてます。)

ただ、
小学校教育の現場にいって確認したわけではなかったので、
実際に確認したいな、

ということです。

 

では、実際に学童保育で働いてみた後に思うところとしては、

やっぱりできれば”一般的な”小学校には行かせたくないな。

です。

まあ要は、だいたい想像通りな感じでした。。。

 

働いてみた感想

記事の本題とは逸れますが、、

働いた感想としては、
とても楽しかったですし、なんか充実した時間でした。

なんていうか、「教育の魔力」を垣間見ることができました笑

 

小学生1年生なんかだと、
半年も経つと顔付きは全然変わってきます。

辞める間際に半年前の写真とかを振り返ると、
子どもの成長を感じてとても嬉しくなります。

 

また、子どもたちと一緒に遊んだりもするので、

お仕事を辞める時に何人かの子どもがギャン泣きしてしがみついてきたりとか、

お手紙やプレゼントをたくさんもらって、、、

それがもう、かわいくて、かわいくてっ!

 

これが子どもと関わる仕事の魔力であり、幸せに感じる瞬間なんだな、
と感じました。

 

まとめ

ということで、
子育て未経験の人は機会があれば働いてみると面白いです。

機会がそんなにはないと思いますがw

 

・・・と、ここまで書いておいてですが、

結局、今思っていることは・・・

実際に子育てしてみないとわかんね。

ということです。

 

もちろん、子どもとの接し方のヒントを得たりとか、
小学校の雰囲気などを感じることはできました。

そしてそれはとても有益だったと思います。

ただ、実際に自分が子育てをする時には、
一人の子どもとしてミクロな視点で子どもと接しないといけないですし、
小学校の状況も現在とは違うでしょう。

そのため、
結局は実際に子育てをするタイミングになったら
その時にまた必死に考えて、必死に対応しようと思います笑

 

お読みいただきありがとうございました!

ではでは!

小学生の「チンチン」発言から考える、子どもへの正しい「伝え方」

おはようございます。こんにちは。こんばんは!
メンサーのチャイスケです!

 

突然ですが、

子どもって、小学生くらいになると学校で「チンチン」という言葉を覚えたりしますよね笑

その時の大人の対応について、
個人的に気になる点があるので、
そのことについて書いていこうと思います。

※自分の子どもはいないですが、学童保育で働いているので子どもと接する機会は多いです。

はじめに

まず最初に、
チャイスケの子どもに接する時のスタンスを明確にしておきます。

私は、子どもに対して対等な立場で(大人と同じように)接するべきと考えています。

こういう言い方をすると、
「当たり前だ」と思うかもしれません。

ただ、
本当にそうでしょうか?

 

例えば、子どもに対して、
相手が子どもだからと思って嘘をつくことはないでしょうか?

・「どうして●●したらいけないの?」
・「サンタクロースっているの?」
・「僕はどうやって生まれてきたの?」

などの質問への回答でも、
自分にとって不都合な真実はごまかしていたりしないでしょうか?

もちろん、バカ正直に答えることが正しいと言っているわけではないです。
幼い子に対して、子どもができる仕組みなどを細かく説明する必要はないでしょう。

何が言いたいかというと、ただ嘘やごまかしを言うのが悪いのではなく、
相手が子どもだからと、一種の相手を下に見る態度があるとしたら良くないと言いたいわけです。

 

例えばですが、
子どもに対しては禁止していることを、自分はしていたりしないでしょうか?

・ご飯中はおしゃべりしないで食べなさい
⇒大人は会食などもありますし、話しながら食べるのは当たり前ですよね。まあ今どきおしゃべりしないで食べなさい、という教育もないかもしれませんがw

・人の話を聞く時には相手の目を見なさい
⇒自分はパートナーに対してできているでしょうか?また、別に相手の目を見なくてもいいでしょって場面もありますよね。

念のために繰り返しておきますが、
上記のような注意をすること自体が間違っているとは思いません。

ちゃんと対等な立場として注意しているか?しっかり論理的に注意できているか?
ということを言いたいです。

 

もちろん、
子どもと大人では責任能力の差があるので、
子どもの行動に規制をかける必要がある場合はあるでしょう。

しかし、
相手は子どもだから、という気持ちが少しでも入った瞬間に、
子どもと対等な立場で接しているとは言えないのかなと思います。

 

子どもの「チンチン」発言への大人のまずい対応

冒頭にも述べたように、
小学生くらいになると、学校で「チンチン」という言葉を覚えてきたりします。

その時、
ほとんどの大人(親や教師など)は基本的にはやめさせる方向に動くようです。

ただ、
そのやめさせ方が個人的には良くないな、と感じます。

よくある言い方としては、

①:(頭ごなしに)「やめなさい!」
②:「そんなこと言うと恥ずかしいよ」

などです。

①に関して言えば、
大人同士の関係において、
他人の行動に制約をかけようとする際に理由を言わないのはありえないでしょう。
ちゃんと論理的にやめないといけない理由を説明するべきです。

②に関して言えば、
恥ずかしいかどうかは本人の感情のはずなのに、
なぜ周りから言われる筋合いがあるのでしょうか?
子どもは別に恥ずかしいと思っていないから「チンチン」という発言をしているはずです。

 

「チンチン」発言をやめさせる正当な理由はある?

先程あげたような非論理的な理由ではなく、
もっと論理的で納得感がある理由はあるのでしょうか?

もし自分の友だちが「チンチン」と言っていた場合に、その人にどう説得して止めさせるか?

と考えるとわかりやすいと思います。

 

大きくわけると3つの観点から考えることができると考えます。

①社会的な観点
②法律的な観点
③個人的な観点

それぞれ詳しくみていきましょう。

①社会的な観点

“一般的に”チンチンとか、そういったいわゆる下品な言葉は社会的に好ましくない(風紀を乱す)という雰囲気というか、幻想というか、ちゃんとした大人はそういう言葉は使わないという雰囲気のようなものがあります。たぶん。
※今後、この雰囲気を「道徳」と記載します。

そのため、
社会に属するものとしてそういった発言はしない方が良いという雰囲気があります。

これは、
1つの理由として、ある程度の納得性はあるのかなと思います。

とは言え、
この「道徳」は一般社会においてのものなので、
小学校のクラスという狭い社会空間(プライベートに近い空間)においても成り立つかというとそうではない気もします。

というか、
「道徳」を形作っている大人でも、
プライベートでは普通にチンチンとか言いますよねw
・・・少なくともチャイスケの周りでは社会的にはちゃんとしているとされている部類の人でもプライベートでは言っている人います。

 

②法律的な観点

法律的な観点から考えると、

公然わいせつにあたるかどうか、
という話になると思います。
※法律の専門家ではないので、もし違っていたら教えてください

結論だけ言うと、主に以下の点によって該当しないと考えられます。

・学校のクラスという公共性のない場
・発言者が小学生

違法ではないことを前提に、注意するのであれば、

もっと公共性がある場所において、
もっと大人になってから言うと、
違法になるかもしれないから気をつけて

という感じになるでしょう。

もしくは、
法の趣旨を考慮して注意するとすれば、
①の社会的な観点の内容とほぼ同じになります。

 

③個人的な観点

これはわかりやすいですね。

チンチンと聞かされた人が、主観的にマイナスな気分になったかどうかです。

もしマイナスな気分になったのであるならば、
そのことを伝えて、やめてほしい旨を伝えればいいです。

 

まとめ

子どもがチンチンと言っていて、止めさせたい場合、
以下のような理由で言うのが「正しい伝え方」なのかなと考えます。

③に関連して、
自分がマイナスの気分になったら、その旨を伝える。

②に関連して、
法律を知らなそうであるならば、「公然わいせつという法律があるよ」と伝える(噛み砕いて説明)。

①に関連して、
「道徳」を知らなそうであれば、「一般的には社会では言うべきでない言葉となっているよ」と伝える。

 

個人的には(自分が親であれば)、別にチンチンと言われてもマイナスな気分にはなりません。

そのため、
②③のことを伝えた上で(理解するまで何回か伝える必要はあるかもしれません)、
チンチンと言うのを止めないなら別に放置でいいのかなと思います。

普通に育ったら、
大人になっても所構わず「チンチン」と言うことはないでしょう。

ここは大事です。
「チンチン」と言うのを止めなさい、と注意をしなくても、
普通に育ったら、いつでもどこでも「チンチン」と言う大人にはならないです!

 

また、
自分の周りの友人がチンチンと言っている場面を想像してください。
別に自分がマイナスの気分にならない場合は何もアクションしないですよね。

それは、
公共の場でなければチンチンと言っても(法律的、社会的に)問題はないし、
その人が公共の場では言わないことがわかっているからです。

 

最後に

実際に子どもと接していると、
注意する時にどうすれば良いかと悩むことは多いです。

そして子どもは大人の期待する通りにはならないものです。

子どものためにと注意していたはずが、
逆に子どものためと思う気持ちが強くなるあまり、
子どもを強制的に思い通りにしたくなる気持ちもわかります。

しかし、
子どもを強制的に操作するときには、
子どもと対等な立場で接しているとは言えません。

多くの方がすでにしていると思いますが、
ふっと気づいた時に子どもへの接し方を振り返るのは大事です。

その際に、この記事が少しでもお役に立てれば幸いです。

お読みいただきありがとうございました!

ではでは!