過去の発言はいつまで背負い続けるべきなのか

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

2021年7月23日、東京オリンピックが開幕しました。
開会式も23日に行われましたが、開会式のセレモニーをめぐっては開会式の前後で様々な議論を巻き起こしました。

今回は、開会式直前に立て続けに辞任・解任された小山田圭吾さん、小林賢太郎さんに関して綴っていきます。

今回の議論の肝は、
過去の発言の責任はいつまで背負い続けるものなのか、という一点に尽きると考えています。

そして、結論から言うと、
過去の発言の責任をいつまでも背負い続けるのは間違っている。

と考えています。

時代背景を考えるべき

「 過去の発言の責任をいつまでも背負い続けるのは間違っている。 」と、言いましたが、別に小山田圭吾さん、小林賢太郎さんの過去の発言を肯定しているわけではありません。

今回の件でいうと、小山田圭吾さんが辞任したのは適当な判断だったとも思います。
とは言いつつ、辞任を100%肯定しきれない自分もいます。
#優柔不断

一つ言えることは、発言があった当時の時代背景などは考慮する必要があるといいうことです。

今100歳くらいのおじいちゃんは、戦時中に戦争で人を殺した人もいるでしょう。

戦時中は相手国の兵隊を倒すことが仕事でしたし、その当時の日本の憲法・法律では戦争が禁止されていませんでした。そのため、戦争で人を倒しても法的に問題はなかったのです。
そしてまた、風潮としても相手国をコテンパンにした人=人をたくさん殺した人、が英雄視されることもあったでしょう。
#当時生きていないから知らんけど。たぶんあったでしょう

しかし、今の時代を生きている人の中で、
たとえ戦争であっても人を殺めることを手放しで喜ぶ人はいないでしょう。

そういう意味では、100歳の人をたくさん殺したおじいちゃんはどちらかというと悪者です。
だからといって、このタイミングで100歳のおじいちゃんを責めることはないです。が、人を殺す行為自体が褒められることでないのは明白です。

ただ、戦時中という状況を鑑みて、人を殺した行為もある種肯定されているわけです。

じゃあ、福沢諭吉はどうなの?

ちょっと視点を変えて、過去の偉人について見てみます。

福沢諭吉さん

2021年時点、1万円札の肖像にもなっていて、日本国としても海外から見ても日本の偉人として認められている人物だと言えます。

しかし、過去の発言を見ると、以下のように差別的な発言をしています。

左れば斯る国人に対して如何なる約束を結ぶも、背信違約は彼等の持前にして毫も意に介することなし。既に従来の国交際上にも屡ば実験したる所なれば、朝鮮人を相手の約束ならば最初より無効のものと覚悟して、事実上に自ら実を収むるの外なきのみ

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000256934

簡単に言うと、「朝鮮人を相手の約束ならば最初より無効のものと覚悟しろ」というものです。朝鮮人差別といえる発言です。

また、

人を目下に見下すことは亦甚だ嫌である。例えば、私は、馬丁、人足、小商人の如き下等社会の者は別にしていやしくも話のできる人間らしい人に対して無礼な言葉を用いたことがない

こちらちょっとソースが怪しいですが、、ネットで調べた感じだと「 福翁自伝 」の中で上記のような差別発言をしているようです。

このような発言は多くの人は知らないかもしれないが、少し検索すれば出てくるものです。
状況としては、小山田圭吾さんの状況と同じです。

しかし、こういった発言をもとに福沢諭吉を差別者といってたたくこともないし、1万円札の肖像から外せ、という動きもないです。

それはなぜかというと、福沢諭吉が生きた時代は明治であり、
この発言は過去の発言、歴史上の発言であるからです。
#たぶん
#福沢諭吉さんを印刷した一万円札を回収することがあれば、私が責任取って回収します

当時は女性には参政権がなかったりと、今の時代背景とは大きく異なります。
そういった時代背景を前提としているからこそ当時の福沢諭吉の発言も問題とはならないのです。

※当時から福沢諭吉は差別主義者として一部からは批判されていたという意見もあるようです。

ということで、
時代背景によって発言の重みなどは違ってくるものであります。

過去の発言にいつまでも縛られない社会にしていきたいものです。
#くれぐれも、差別発言を肯定しているものではないことはご理解ください。

最後に

最後に、多くの人に身近な例も挙げておきます。
今の40代以上の人で、2021年において考えられているセクハラ・パワハラ・アルハラに当たる言動をしたことがない人はほとんどいないと思います。

もちろん、当時嫌な気分になった方がいることは事実なわけで、当時の行為それ自体が無条件に許されるわけではないです。
しかし、逆に、なんでもかんでも当時の言動をもとに、遡って罪状を突きつける・突きつけられるのもどうなの?と思う次第です。

正解はない議論ですので、皆さまの意見もぜひ聞いてみたいです。お待ちしています。

お読みいただきありがとうございました。ではでは!

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