おはようございます。こんにちは。こんばんは。
今日は漫画『聲の形 』 についてです。
岡田斗司夫さんが動画で聲の形を絶賛してるのを見て、気になって漫画を一気読みしちゃいました。
岡田斗司夫先生が絶賛するだけあって、案の定めちゃくちゃ良い作品だったので、その感動と読みながら考えたことを書いていこうと思います!
概要
まずは概要から。
ウィキペディア先生から引用します。
『聲の形』(こえのかたち、英題:A Silent Voice)は、大今良時による日本の漫画。最初の作品が『別冊少年マガジン』(講談社)2011年2月号に、リメイクされた作品が『週刊少年マガジン』(同社)2013年12号に掲載された[5]。『週刊少年マガジン』(同社)にて2013年36・37合併号から2014年51号まで連載された[6][7]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B2%E3%81%AE%E5%BD%A2
2015年版『このマンガがすごい!』オトコ編で第1位[2]、「マンガ大賞2015」で第3位[3]を獲得した。第19回手塚治虫文化賞新生賞受賞作[4]。
全日本ろうあ連盟監修のもと道徳教材化され2015年に30分の実写DVD化された。2016年には劇場版アニメーションが制作された。
あとは、最初に載せた岡田斗司夫先生の動画も見たら、だいたい概要わかると思うので、ぜひご覧ください。
岡田斗司夫先生の動画見ても、完全なネタバレにはならないと思うのでご心配なく。
というよりも、聲の形は最後にどんでん返しがあるといったタイプの作品ではなく、感情の渦巻きをテーマにしているので、ネタバレというネタバレはないのかな、と思います。
また、漫画は全7巻なので、半日もあれば読み切れる量で取っ付きやすいと思います!
※以下からはネタバレも含むのでご注意※
考えさせられたポイント
①罪の償い
作品内で出てくるいじめを始めとした罪に対しての償いの仕方について考えさせられました。
法律的には、罪を償えばそれでOKという形になります。
実際問題としては、一度殺人など犯してしまうと社会復帰が難しいなどの事情はあると思いますが。
だけど、そんな制度・社会の仕組みというのは、
犯罪の被害者からしたら到底許すことができない、というのが現実です。
頭ではそういった制度や社会を理解できていたとしても、
感情的に納得できたり、うまく飲み込むことができる人はそんなに多くないと思います。
逆に、加害者目線に立った場合、
死ぬまで罪を償い続けないといけないというのはかなり大変だと思います。
過去に悪いことをしたということ自体は事実ですし、
被害者がいる以上、加害者を100%擁護することはできないです。
しかし、しっかり更生した結果、もう絶対に重犯罪を犯さない善良な人になった人もいると思います。
法律による裁き・罰を受けた上で、きちんと反省して更生した人にとって、過去の十字架を一生背負っていきていくのは、精神面も含めてとてもハードなことだと思います。
作品でいうと、石田は過去のいじめという事実、傷つけた相手がいるという事実をしっかり受け止めて、まだまだ未熟な部分もありながら更生した。と言えると思います。
実際、一番の加害者である西宮硝子が石田に対して好意を持っていることから、過去のいじめの件はほぼほぼ清算できたと考えも良いと思います。
しかし、一番の当事者である西宮と石田とは関係ない、周りの人が過去をほじくり返し、あーだこーだ言う構図。
石田に対して十字架を無理に背負わせるのはなんだかな、と感じました。(もし現実世界で起きたら嫌ということで、作品としては最高です!)
また、石田を傷つけることで西宮も傷ついてしまったわけですし。。。
わざわざまとめる必要もないかもですが、まとめてみると、現実世界の中では次のような生き方をするのが良いのかな、というのが今の私の考えです。
加害者:(ちゃんと反省して更生した前提で)過去の罪を償ったということを頑張って自分の中で消化し、過去のことは忘れて生きる&被害者には近寄らない
被害者:世の中というのは不条理でやるせないことが起きるということを頑張って飲み込む
加害者側、被害者側の双方に”頑張って”という言葉使っちゃっていて体育会系ごりごりの考え方ですがw
この考えを、聲の形の作品に当てはめて考えると、
加害者と被害者が会っちゃったからよくなかったのかな、と思っています。
石田が言っていた、「過去を精算したい(自分の人生かけて西宮に償いたい) 」気持ちはわかりますが、
どうしても人間は過去のことを完全には忘れることができず引きずってしまうから、関わらないというのが良いのかな、と思います。
まあ、関わらないとストーリーが始まらないから作品としてはしょうがないんですけど。
また、石田と西宮が関わったことで、過去を掘り起こして辛いこともあったけど、それを乗り越えた結果として成長して最終的には幸せな形になったので良いのかなとも思います。
②自殺
2つ目の考えさせられたポイントは西宮が自殺しようとしたところです。
西宮の自殺未遂を聞いた時の、佐原の「なんで相談してくれなかったの?」という言葉はめっちゃ刺さりました。
自殺した人のことを、
どんだけ深く考え、そしてどんだけ近くにいて寄り添ってあげていても救えない自殺者っているんじゃないかな、と思っています。
(どんだけ手を尽くしてもダメだったと思わないとやってられない。といった気持ちもあるかもしれません。)
生きていると、知り合いが自殺した人もある程度の数いると思っていますが、
その人にはなんとなく感覚伝わるのではないかと思います。
逆に、もし仮に自分が自殺しようと思ったとしたら、
どんなに仲の良い友達や家族であっても、苦しい気持ちなどを相談はしても、めちゃくちゃ深い部分までは相談せず、
最後の”自殺をするかどうかの判断”は自分で決めてしまう。と思いました。
結果として、残された友人からしたら、
「なんでもっと相談してくれなかったの?」といった感情を持ってしまうのかな、と。
考えれば考えるほど難しい問題ですね。。。
できる唯一のこととしては、自分も周りの人もそれぞれが、
“共同体感覚”(わからない人は『嫌われる勇気』とか読んでみて)を持てる組織や団体、社会を複数持っておき、
いざという時に逃げこめる場を持っておくしかないのかな、と。
心がざわついた伏線1選
最後、個人的に一番「うわっーーーっーーっ!(余韻…)」と思った伏線を紹介します!
それは、西宮硝子の妹である結弦(ゆずる)の写真の件です。
結弦は写真撮るのが好きで、物語序盤から色んな写真を撮っていました。
その中で、動物の死骸の写真をたくさん撮って、部屋の中に貼っていました。
どれもグロテスクで、一般的には嫌うような写真でした。
それだけでも「なんで?」という感じではあるんですが、
他の人が写真に対して「気持ち悪い」という感想を持つことを喜んでいるような描写が複数回描かれていて、なんでだろう。と思っていました。
が、最後の7巻でその伏線が回収されます。
死骸の写真を撮って、部屋に貼っていたのは、
その写真を見ることで硝子が”自殺をしたくなくなる”ためのものだったのです。
小学生の時に、一度だけ硝子が結弦に対して「死にたい」と口に出したことがあります。
結弦は硝子が自殺をしないためにはどうすればよいかを考え、
グロテスクな死骸の写真(”死”に対してのマイナスなイメージ)を硝子に見せ続けることで、
硝子が自殺をしたくなくなるように仕向けていたわけです。
だから、写真に対してネガティブな反応を得られると喜んでいたわけです。
また、硝子が自殺未遂をしてしまった後は、死骸の写真の効果がなかったことを悟り、暗い部屋の中、壁から写真を剥がしていました。
壁から写真を剝がしている時に母親がやってきて、結弦からなんで写真を剝がしているかを聞いた時(死骸の写真を撮っていた理由を知った時)の、あの描写・空気感が何とも言えないくらい悲しく、心を動かされました。
まとめ
ということで、『聲の形』という作品が良かったよ!
漫画の巻数も少なく、映画もあり(映像良かったので制作会社どこだろうと思ったら京アニでした)、取っつきやすいから良かったら読んで・鑑賞してみて!ということでした。
ではでは!