※つれづれなるままに書いた記事ですのでまとまりないですw
論理(理論でもまあ良いでしょう)と感情という対立で色々なことを分けることがあると思います。
以前書いた記事で、二項対立ではないと言いました。
とは言いつつ、日常ではそういう分け方をするのが都合の良いこともあるかと思います。
例えば、機械は論理的だが感情はない。彼は論理派だよね(感情派だよね)。など。
その時、人間には感情というものがあることが前提で話が展開されることが多いです。そして、私含めて人間が感情というものを知覚している以上、感情はあると言えると思います。
しかし、脳の仕組みを考えてみると、私達が感情と言っているものは実際にはなんなのか?どういったものなのか?という疑問も湧いてきます。
人間の反応(感情もこの反応に含む)は関数のインプットとアウトプットに例えることができます。
ある刺激というインプット(バカとののしられるなど)に対して、関数を通して(主には脳の神経細胞間の電気信号)、アウトプット(怒るなど)があると言えます。
ということは、そのインプットがあった瞬間の神経細胞の状況を完全に再現できた場合(関数の表す式が一緒である場合)、全く同じインプットを入れたら全く同じアウトプットになるといえます。
実際には、時間は常に流れていますし、神経細胞同士の繋がりは刺激のたびに変化しているため、全く同じ状況になることはありません。
で、あるならば、ニューロン間のつながりが全て計算(解明)できるようになれば、今まで感情と言われていたことは全て「論理」と置き換えることができるはずです。
こういった神経細胞の状況であれば、こういったインプットを入れるとこういったアウトプットになる。というのがわかるからです。
(ただ、ここに関しては、ディープラーニングの中身がブラックボックスであるように、実際にどういった仕組みでそうなっているかはわからないでしょう)
そう考えた時に感情とはなんなのでしょうか?感情と論理を対立させて考えることに意味はあるのでしょうか?感情とはただ(人間では処理できないほど)複雑な論理ということができるかもしれません。
このことから何かアクションにつなげたいということはありません。色々と思考していたら面白いなっと思ったのでまとめてみました。
お読みいただきありがとうございました!
ではでは!