おはようございます。こんにちは。こんばんは!メンサーのチャイスケです!
2020年5月24日、昨日SNS上の誹謗中傷が原因(だと思われる)である方がなくなった。
それ自体はとても悲しいことで、その方のご冥福をお祈りいたします。
それによって、SNS上での誹謗中傷をなくしていこうみたいな動きが出ている。
私自身、SNS上での個人に対しての誹謗中傷に関しては昔から憤りを感じていて、誹謗中傷して人を意図的に傷つける人はいなくなればいいと思っている。
なので全体的な動きとして、SNS上での誹謗中傷の対策をしていこうというのは願うところである。
ただ、この問題はそれだけでは解決できないのかなと思っている。
私が考えていることをつれづれなるままに書いていく。
SNS上の誹謗中傷をなくす動き
動きのすべてを追えているわけではないが、一つの動きとしては、法による裁きというのがあるようだ。
SNS上での誹謗中傷や嘘情報などに対して、名誉毀損など?で訴訟していこうという動きだ。
上述したように動きとしては特に否定することもないが、個人的に積極的に推奨したいわけでもない。というそんな気持ちを持っている。
理由は後ほど触れることになるが、それで解決できるのか?という疑問があるからだ。
なぜSNS上で石を投げるのか
こんなことを言ってしまうと元も子もないかもしれないが、純粋に「頭が悪い」というのが一番の原因だと思う。
他の原因としては自己中心的、社会性や共感性の欠如がありそうだ。
(他にも原因と考えられることがあれば教えてください)
ざっくりと3つの理由を挙げたが、これって言いたいことわかるだろうか?(丸投げ)
頭が悪くなければ(ちゃんと考えることができたら)SNS上で人の誹謗中傷なんてしないですよね?意見に対しての反論であったり、意見への批判はすることがあると思うが、世界中の人が見ることができるSNS上でただの悪口とかは頭が悪くなければしないですよね?
自己中心的でなかったり、共感の気持ちがあれば、SNS上で人の悪口とか人格を否定するようなことは言わないですよね?
そして、なぜ私が「法による裁き」に対して乗り気でないかの理由であるが、
もし上記の「頭が悪い」「自己中心的」「社会性や共感性の欠如」が原因であるとすれば、訴訟して法による裁きをしても改善はあまりしないように考えるからだ。
じゃあどうするのか?
理想(中長期的に目指していきたいところ)と、現実的(現状できること)にわけて考えていきたいと思う。
理想というところでいうと、すべての人の頭が悪くないようになる。すべての人が自己中心的でないようになる。すべての人の社会性や共感性を持つようになる。ということになるだろう。
(原因と反対のことを言っただけ)
ではどうやって実現していくのかを考えると、一つとしては教育分野で改善していくことかもしれない。もう一つしては地域社会であったり家族の在り方を見直すことかもしれない。さらにはより豊かな社会を実現すれば解決に近づくかもしれない。
これらのこと一つ一つは小さいかもしれないし、すぐに解決しないかもしれないが、全てのことを時間をかけて少しずつやっていくことで中長期には良くなっていくような気はするし、目指していければとは思っている。
とは、思っているが、、、、、
正直、それで本当に解決するかと言われると、そんなことはないよな気がしてる。厳しい言い方かもしれないが。
すべての人が頭が悪くないようにする(ちゃんと思考できるようにする)といっても、他の人に対して思考することを強制することはできない。
学校などで宿題を出されたのは強制と言えば強制かもしれないが、実際やらなかった人はいるだろう。教育制度や体制をどこまで頑張ってもすべての人がしっかりやる(結果として思考できるようになる)と試算するのはあまりにも楽観的な気がする。
自己中心的でなくなるや、共感性の獲得(そもそも定義ちゃんと決めろよって話はあるが、今回は大枠を伝えたいだけなので割愛する)というのも、先ほど挙げた教育や地域社会を見直したり、豊かな社会を作るだけで解決するとは思えない。私の感覚の問題でもあるが、多くの人が同じ感覚なのではないかと思う。
(ですよね?)
現実的(現状)にできること
ということで、現状できることは自分に害がある人を除いた(SNS上で誹謗中傷するような人)コミュニティーに属していくことだ。
(くれぐれも、自分に害がある人というのは絶対的に悪い人という意味ではないことは言っておく。人にはそれぞれの正義がある。そして正義自体には善悪はない。言っていることわからなかったらこっそり教えてください。詳細は別途お伝えします)
昔からある具体的な例だと、芦屋とか田園調布などはそれに近いこと実践している。知らない人もいるかもなので説明すると、芦屋も田園調布も高級住宅街である。
特に芦屋なんかは自治体組織が活発であり、地域の雰囲気作り(変な人がこないようになど)を行っている。
また、最近流行っているところでいくとオンラインサロンである。
多くは月会費制となっていて、オンラインサロン内で様々な交流を行えるものだ。
メルマガをインタラクティブにしたイメージだ(少し違うかも)
そうすることで、少なくともそういったコミュニティーの中ではSNS上で誹謗中傷するような人を排除できる。
私も最近はそういった閉じたコミュニティーの居心地をよくすることを目指している。それは勤めている会社、オンラインサロン、メンサなどがそうだ。
短期的な視点としては、閉じたコミュニティーを作りつつ、けどやはり長期的にはすべての人が頭が悪くなく、自己中心的でなく、社会性や共感性を持った世界を目指してはいきたい。
補足
最後に、閉じたコミュニティーの話をした。
具体例として、芦屋に住んだり、オンラインサロンに入ったり、メンサに入ったりということだ。
(そもそも自分がそれぞれのコミュニティーにふさわしい状態である前提ではあるが)
芦屋に住むのは家賃が高く多くの人には難しいかもしれない。(それに芦屋は兵庫なので沖縄在住の人がいきなり兵庫にいくのもちょっと違うかもしれない)
また、オンラインサロンについても月額でお金がかかる。今でこそ1000円~1万円程度だからそこまでハードルは高くないだろうが、今後会費が高くなる可能性はありそうだ。
これからオンラインサロンがより普及していった時、それぞれのコミュニティーにとって変な人が入ってくるようになると、そういった人を排除する必要がある。
その一番簡単な方法が会費アップである。
そんなことを考えていると、お金はある程度は持っておいた方が良いな、という風にぼんやり考えている。
追記
冒頭で、「この問題はそれだけでは解決できないのかなと思っている。」と書いた。
その理由はここまで述べたように、法的手段を取ったからといって誹謗中傷する人が変わるわけではないから。というのが一つであるが、実はもう2つ理由がある。
それは、誹謗中傷による被害というのは精神的苦痛という目に見えないものであること。
また、誹謗中傷は一つだけでは大きな問題にはならず、大量であることにより表出する性質があるからである。
「目に見えない精神的苦痛」というのは目に見えないためどうしてもルール(法律など)によって規制するのが難しい性質がある。
「数が集まることで効力を発揮する」という性質も、一人一人の責任をあいまいにするためルール(法律など)によって規制するのが難しい。
もちろん、なんらかの方法によってうまく規制ができればよいが、それは表現の自由を狭めることにもつながる。
(極端な例でいうと、仲良い友人同士でじゃれ合いの延長として「死ね!笑」というのも罰則の対象になりえるような規制ができてしまったとしたら、生きにくい世界のように感じる)
5月26日、政治家なども問題視し始め、法律などによる規制を検討している。という風潮になっているので追記した。