選択的夫婦別姓には賛成だけど、、、もっと戦略的に考えた方がよいかもね。という話と、論点整理

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

選択的夫婦別姓を求めているカップルが離婚した。という記事をよんだ。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5fb63dddc5b695be83001041

パッと見、何を言っているかわからないかもしれないが、、こういうことだ。

選択的夫婦別姓に賛成しているカップルがいた。
その2人は結婚で性を変更することに躊躇はあったが、諸々検討した結果結婚した。
しかし、色々あって、やはり自分の姓に戻すために離婚をした。

ということである。

その内容を読んでいて思ったことを書いていく。

大前提

私は選択的夫婦別姓には賛成だ。むしろ大賛成だ。

冒頭の記事を書いたみなとさんの「私は決して、全ての人が別姓結婚をすべきと言っているのではない。夫婦別姓を選べるようにして欲しいのだ。」という主張には同意だし、まじで早く選択的夫婦別姓を認めてほしいと思っている。

ということは先に断わっておく。では、まずは記事の内容を簡単におさらいしよう。

離婚の理由は?

記事の内容を簡単におさらいしよう。
記事に書いてあった離婚の理由を簡単に言うと、

元々の自分の姓はアイデンティティであり、生活していく中でそのアイデンティティが喪失していくことに耐え切れなくなった。

という内容だ。

具体的には、
例えば、公的書類のやり取りをする度に元々の自分の姓が存在しないことを実感し、自分が損なわれていくように感じたようだ。

そのこと自体は感情的な部分なので、自分含めての第三者がとやかく言うことではない。

というよりは、とやかく言ってもしょうがない。
感情的な判断だからである。

このブログでは何度も言っていることであるが、
感情的な判断に対して、いやいやそれはこのようにおかしいよ。と論理的に反論したところで意味はない。

私が感じた違和感

上述の内容に関して少し違和感を持った。2つの視点からである。

1つ目は、私の個人的な感覚と比較してであり、
2つ目は、選択的夫婦別姓に賛成の立ち場から、
である。

まず1つ目について詳しく説明する。

姓がアイデンティティである。という部分ははあまり共感できない。

もちろん、自分の姓にアイデンティティを感じ、それを守りたいから選択的夫婦別姓を取りたい。という意見があっても良いと思う。
ただ、個人的には納得や共感はできない。という話だ。

個人的には、姓名は本当に記号でしかないと考えている。別に私は「AA B太郎」という名前でも問題ない。
#選択的夫婦別姓に賛成という同じ立場でも色々な理由があるね

姓とアイデンティティが紐づくという意見・感覚を拡大解釈すると以下のようになる。
夫婦別姓の場合、その子どもは夫婦のどちらかの姓になり、子どもは夫婦どちらかとのアイデンティティの共有ができない(もしくはしにくい)。
※複雑になるので、子どもを産まない家族のことは今回は議論上から除く

姓とアイデンティティを紐づける話は、夫婦同姓派の「家族の絆」という話の延長線上にある考えのように思う。
#家族の絆と書く時、毎回(笑)とつけたくなるのは内緒

ということで、2つ目の「選択的夫婦別姓に賛成の立場」からも違和感を持ったのだ。
違和感というよりは、選択的夫婦別姓に賛成している立場の理論であまり取るべきではないと感じた。の方が近いように思う。

もう少し詳しく説明しよう。

姓がアイデンティティであり大事なものでありという主張は、
家族(両親と子ども)が同一の姓を持ちアイデンティティを共有する方がよい(これが”家族の絆?”)、
という主張を、肯定こそしないが、否定はできなくなる。

夫婦同姓を強制する今の仕組みを支える論理

ここで少し話を変えて、夫婦同姓を強制している現状を整理しよう。

夫婦同姓の擁護者の主張は、「家族の絆(笑)」(家族制度、戸籍といったもう少し現実的・具体的な問題も含む)や「子どもの姓どうするか問題」だったりするわけだが、

それを支える論理としては以下があると思っている。

①法律的・制度的に不平等な仕組みではない
②人権を制限しているわけでもない
③前提として、歴史的流れの中で今の制度になっている

※②の憲法論にはついて専門家ではないので、厳密には違う部分あるかもなのでニュアンスで捉えてください&間違いあれば教えてください。

①について、
法律上、男女どちらかの姓にすると記載があるだけだ。なので、女性の性にすることもできる。(実際、数は少ないものの女性の性にしているカップルも存在する)
そういう意味で、法律的・制度的に不平等になっているわけではない。
(そのため、男女平等という主張をもとに夫婦別姓を主張することはできない)

②について、
制度として夫婦同姓を規定していることで、人権を大きく侵害しているとは考えにくい。

実際、例えば、思想の自由、表現の自由、経済的自由、人身の自由、参政権などは別に制限されていない。

憲法違反として訴訟起こすとしたら、やはり憲法13条:幸福追求権、14条:法の下の平等辺りとなるのだろう。

近い話で、最近、同姓婚について地裁の判決がでた。以下の記事にまとめている。

同性婚訴訟の解説と考えること

判決の内容は、
憲法14条:法の下の平等についての主張が一部認められ、違憲とされたという内容だ。

判決文を読む限り、同性婚について一歩は前進したが、まだまだ道のりは長い、、、という所感だ。

ということで、憲法違反として、夫婦同姓を強制する法律を変えるのは難しいと思われる。

③について、
今、改めて憲法や法律を作れ、と言われたら今のような内容にはなっていないだろう。

しかし、歴史的な流れを汲んで、制度は作られる。そして、一度できた制度や仕組みを壊すのはかなり大変だ。
法律の場合、変えるためには以下のどちらかの条件が必要だ。

・民意として国会が法律を変える
・憲法違反として半ば強制的に法律を変える

前者は、
みんなご存知の通り、人間は変化を嫌うことを考えると積極的なモチベーションがないと難しい。

後者は、
法律を変える武器としては強いが、前述のように今回の件は憲法違反と認定するのはなかなか大変だ。

以上、①~③までみてきて、今の夫婦同姓を強制する仕組みはなかなか手ごわいことがわかる。

私の主張

冒頭でも言ったが、私は選択的夫婦別姓には賛成である。大賛成である。

しかし、先ほどの説明通り、
「夫婦別姓」でなければならないことを完全で抜けのない論理で説明することは現状できないと考えている。

先ほどまで述べた話とは少し見方を変えて、感覚的に捉えると以下のように言える。

・婚姻という制度自体が、国が用意したものである。
・婚姻という制度では、男女のどちらかが姓を変えないといけないという制度になっている。
・(別に婚姻しないという選択肢もある中で、)国が用意した婚姻という制度を好きで利用している。
・姓を変えたくないのであれば、婚姻しなければ良いのでは?

このように言われてしまうと、何も言えなくなってしまう。
(そこに対抗する唯一の手段として、憲法違反としての訴訟、特に憲法14条:法の下の平等などがあることは先に述べた)

このくらいかみ砕いて説明すると、選択的夫婦別姓を論理的に正当化することの難しさがわかりやすいかも。

と、いうことで、私たちがやるべきこととしては、
論理的に違憲だ、と主張することではなく(それはそれで必要だとは思うが)、

国民の民意として法律を変える方向に持っていくことだと考える。

要は、政治家さんが夫婦別姓を導入した方が票が取れるよね。という状態に持っていく必要があるということだ。

論理的な正しさを出しても納得せず意見を変えない人は多いので、感覚的・感情的に夫婦別姓に反対する人が多い以上、法律変えることは無視じゃね?
と正直思っているのは、、一旦置いといて、、、

どうすれば賛同者が増えるか、と考えると、
今までの話と矛盾するように聞こえるかもしれないが、

主張が論理的、かつ整合性が取れている

ことが重要だと考える。

感覚的な意見を入れて、
論理性が失われたり、整合性が取れなくなってしまうのはマイナスだと考える。

そこで、私が主張する意見はシンプルに、

結婚して姓を変えることで実害が出る

の一点突破です。

夫婦別姓に反対の人の多くは、多くの人が結婚した方が良いよね。という考えだ。
#たぶん
#だって家族の絆大事だし
#違ったらごめん

そこは、夫婦同姓派とも意見を揃えた上で、結婚をして姓を変えた人には大きな実害が出ていること(だけを)大きく主張するのが良いと考える。

正直、書類上の手続きだけでも死ぬほどめんどくさい。
手続き内容を想像するだけで3日ほど寝込みそうだw

ただ、それだけならまだよいです。
いや、よくはないが、一度変えてしまえば済む話なので許容するとしよう。
※姓を変えた方、本当にお疲れ様でしたm(__)m

例えば、
自分の名前で仕事をしている人は、名前を変えてしまうと検索で引っかからなくなってしまうなど、大きな実害があります。

そのため、仕事上は旧姓を使うことが多く、戸籍上の名前とずれるので更にめんどうなことが毎度発生している現状がある。

そして、そういった煩わしさがあるために結婚を躊躇している人も一定数いる。
#どのくらいいるかは知らんけど

具体例としては、
事実婚をしている人の中に、自分の名前を変えると仕事に関わる人や、煩わしさが理由の人がいるのは身近にも聞いたことがある人はいるだろう。

夫婦別姓を認めないと、

多くの人が実害を被るし、

何より、結婚する人が減り、「家族の絆」が発生しえない状態になってしまうという論理展開にした方がよいと考える。
#最後まで家族の絆を煽るスタイル
#だって、家族の絆と主張する人はさすがにおかしいでしょw

まとめ

記事を読んだことをきっかけに、文章として夫婦別姓についての論点や個人の意見をまとめようとしたが、莫大すぎてうまくまとめることができなかった。。。

色んな点が中途半端になってしまったが、突発的に書こうと思い立ったこともあり、このくらいのまとめで筆をおかせてもらう。

結局、感情的・感覚的な部分が論点になってしまったら議論をしてもしょうがないです。議論をしても感覚的な部分の意見は変わらないので。

ということで、感覚的な部分で議論している以上は、夫婦別姓に賛成の人の数がもっと増え、政治の中でその人たちの票の影響度がもっと上がってくるまでは何も変わらないのかな、と諦めの境地でもある。

一個人としては、選択的夫婦別姓になってほしいし、選択的夫婦別姓を主張している政治家・政党は支持しますが、個人の活動としてまで積極的に行うかと言われるとそこまでのモチベーションはない。
(この記事が少しでもプラスの影響を与えることができたら幸いだ。)



そもそも、個人的には結婚という制度自体がどうでも良い、という意見だ。
#元も子もない

国政として婚姻の制度を作った方が良いというのもあるが、
実際に「結婚したい」という国民がいて婚姻の制度が成り立っていることもある。
「結婚したい」という気持ちはほぼ感覚的、感情的な話であり、出発点が感覚的・感情的部分である以上、正直議論してもしょうがないのかな、と思っていたりいなかったり。。。

ということで、お読みいただきありがとうございました。ではでは!

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